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Look

Noblesse oblige


 わんわん帝國の北の端、にゃんにゃん共和国との境界線に位置する満天星国は、北国人や初心の民の国である旧ビギナーズ王国と、東国人の国旧都築藩国が合併して誕生した最後の国番号を持つ藩国である。慌ただしい合併作業を乗り越えて誕生したばかりの藩国は、ターン13の1月、最初にして最大の災厄に見舞われた。旧都築藩国の一派が藩国政府の機能を掌握し、初心系の民をターゲットとした弾圧、そして虐殺事件を引き起こしたのである。

 この悲劇が何時どんな風に、そして何故始まったのかということは、今もって定かではない。確かなことは、これ以降の満天星国には、常に事件の傷跡が色濃く影を落とし続けてきたということだけである。国の外から攻め来る敵であれば、どんな手段を使ってでも追い返してしまえばいい。だが、同じ藩国の日常を暮らす隣人が、もしかしたら信用出来ない存在なのかもしれないという、拭い去ることの出来ない日々の不安。理不尽に傷つけられた人々の悲しみの記憶は、そう簡単に消してしまえるものではない。それは図らずも、加害者の立場に置かれてしまった者の後悔の気持ちもまた同じである。そしてそんな心の影とは、本当は何の悪意も無い筈の出来事の中にさえ、暗い何かの錯覚を見せてしまうものでもある。

 もしかすると、そんな疑心暗鬼こそが引き起こしたのかもしれないかつての悲劇を背負って、満天星国の人々は懸命に毎日を戦い続けてきた。

 記憶の中の暗い影に抵抗しながら歩み続ける人々の、そんな地道で苦しい戦いの日々を支え続けてきたのは、バトルメードと呼ばれる者達である。帝國の華とも称されるバトルメード達は、明るい笑顔とひたむきさ、白く可憐で尚且つ派手なエプロンに象徴される奉仕の心を、そしてまた、長いアイドレスの戦いの中で研鑽されてきた高い能力とを兼ね備え、暗い何かとイメージの世界の最前線で戦い続ける者でもあった。満天星国における日々の戦いは、その者達のさらなる進化を形にしようとしていた。

 日常と戦うということは、自らの主人だけを守っていればいいだけでは終わらない。主人の愛する家族を、友人を、さらにはその日常暮らす藩国そのものの平和を。メードとしての能力を極め、さらにその先、主人の後ろに付き従う者から一歩を踏み出し、その背にたくさんの何かを守ろうとする者。最上級に磨き上げられた実務能力、戦闘能力、さらにはかわいらしさと指揮能力。
 微かな影の兆しを読み取って、誰よりも速くその戦いの最前線に立ち、だからこそ人々の注目と尊敬とを背に集める、それ故のプリンセスの称号。いにしえの貴族、「高貴なる義務」を負う者の再来である。





けれどもその志は
誰にも語られることのない物語
全てはただ
笑顔の内に





目撃!


 秋の弱い日差しが降り注ぐ政庁前の広場には、たくさんの屋台や出店が立ち並んで人々が行き交う、のどかで賑やかな光景が広がっていた。コスモスのリニューアルと同時に進められた温泉産業振興キャンペーンの一部、「満天星マルシェ」が好評だったために、最近ではこの政庁前広場でも、地産地消を目指した様々な農産物を持ち寄って、臨時の市場が開かれているのだ。
 キャンペーン庶務担当のえるむは、活気あふれる風景を満足そうに見渡していた。最近では観光客にも密かな人気になりつつある政庁前マルシェは、今日も盛況のようだ。しかし行き交う人々の姿の中に、賑やかな光景にはあまり似つかわしくない厳つい軍服の姿を発見して、えるむは少し表情を曇らせた。
 
 たくさんの人間が集まる行事の現場で、不測の事態が発生した場合に備えて警戒中の兵士の姿が、市場の風景のそこかしこに見え隠れしている。アイドレス世界全体が何かと物騒な昨今では致し方ないところなのだが、満天星にはまた特殊な事情もあった。
 藩国内の民族対立が今も微妙にくすぶっている満天星国では、一般市民同士の小競り合いが、思わぬ大きな衝突に発展してしまう可能性が否定出来ない。そんな状況判断の難しい事態に備えて、経験豊かで対処能力に秀でているベテラン兵が、朝早くから借り出されているのだった。
 
 そんな警戒中の兵士の中に知っている顔を見つけ出して、えるむはふと視線を止めた。強面にトレードマークのバンダナという出で立ちの兵士が、いつもよりもずっと穏やかな表情で市場の人々を見渡している。
 老け顔だが実は30代らしいという噂の彼の横には、眠そうにあくびをしている相方の女兵士の姿も見える。が、その彼らの表情が、急に険しく引き締まった。
 
 それに続いて賑やかな市場の雰囲気を破り、怒鳴り合うような男達の声が響き渡った。驚いた人々が何事かと音の方向へ振り返ると、数人の男達が大声を上げながら剣呑な顔つきで睨み合っているようである。
 騒ぎに驚いた周囲の人々は、トラブルから逃げようとそそくさと足を早め、また成り行きを見守るようにして人垣を作り始めて、のんびりとした市場の中には、次第に緊張をはらんだ静けさが広まっていった。
 
 市場のあちこちに散らばって警戒していた兵士達も動き出そうとしてはいるのだが、小競り合いの現場へ軍服に歩兵銃という威圧感を持ち込めば、場合によっては状況が悪い方へと転がってしまうことも考えられ、対応を決めかねている様子である。
 一応バトルメードではあるものの、経済専門家という敏捷ゼロのアイドレスで、いまいち実戦に頼りないえるむは、無闇に首を突っ込むよりもベテラン兵達に任せた方がいいかと、おろおろと視線を彷徨わせたその時だった。
 
 先程のベテラン兵達の目前に、不意に白い色の髪の人影が現れた。こちらに背中を向けているので顔立ちは見えないが、代わりに、その背を覆って波打つ豊かで美しく髪が印象的な、すらりとした女性の姿である。
 騒ぎの現場へ駆けつけようとしていた兵士達を遮る形になった彼女に向かって、切れると人相が変わるともっぱらの噂の女兵士が食って掛かっている姿が見える。と、次の瞬間、不思議なことが起こった。
 
 咄嗟の対応力には定評ある筈のベテラン兵二人が、何かの攻撃を食らったかのように、揃って大きく後方へと仰け反ったのだ。バンダナのおっちゃんに至っては、強面の顔を真っ赤に染めた驚きの表情のまま、かちこちに硬直して戦闘不能な雰囲気である。
 驚いた顔は意外と若く見えるかもなどとえるむが考えている間に、何とか衝撃から立ち直った女兵士が、再び女性へと話し掛けているのも見えるが、それを柔らかな仕草で遮りながら、白髪の姿は予想外の速度で身を翻して、わあわあと人々が声を上げている場所へと滑るように移動して行った。

 その両手に、鳥の羽のようなものを見た気がして、えるむは思わずまじまじと目をこらした。狭い市場の屋台の間を、驚く程の身軽さで移動した彼女は、終に取っ組み合いが始まってしまった騒ぎの只中へと、少しも恐れる気配なく進んで行った。その余りに堂々とした姿に、騒動の周囲を遠巻きに見守っていた野次馬達が、まるで水が引いていくように、無意識のままその女性に道を空けているのが目に入る。
 
 そして、彼女の姿が騒ぎの目前に辿り付いた時、また先程と同じことが起こった。大声を上げてつかみ合いの喧嘩を始めていた男達が、近付いてきたその女性の姿へと振り向いた瞬間、次々と背後へ後退ったかと思うと、そのまま停止してしまったのだ。
 同時に周囲からおおーというどよめきが上がり、取り囲んだ野次馬からも同じような犠牲者が続出している有様である。
だが、一体彼女が何をしたのか、えるむの位置からは何も見えなかった。
 
 同じように、喧嘩騒ぎの外れにいて遅れて気が付いたらしい一人の男が、彼女に詰め寄りながら、いきなり手にしていた長い棒のようなものを振り上げた。周囲の人々から思わず悲鳴が上がるその只中で、白髪の姿は瞬間、忽然と消え失せた。
 続いて、硬い何かがぶつかり合うがっという音が響いたかと思うと、人々の頭上へとぽーんと何かが投げ上げられた。それが、たった今棒を振り上げていた男の姿であることに気が付いて、人々からは先程を上回る大きな歓声がわき上がった。
 
 まるでボールか何かのように軽々と宙を飛んだ男の姿は、狙い違わずベテラン兵の二人の前へどさりと着地した。はっと我に返った女兵士が、地面に転がった男を慌てて取り押さえているのに視線を送ってから、白い髪の女性の姿はそのまま何事もなかったかのように、すたすたと王城の方へと進んでいった。
 その後ろ姿を呆然と見送りながら、えるむは先程からずっと思い出そうとしていた言葉に辿り付いて、自信のないクイズの解答のようにぽつりと呟いた。
「……ええっと、もしかしてー…羽箒?」